東欧の国々の、ランチから見える経済格差
では、この経済力の差が生まれた原因はなんなのでしょうか?
私は、過去50年の政治体制によるものだと思います。
オーストリアは1955年以降、永世中立国の立場をとってきました。
それにより、資本主義の方向をとり、大きな主産業はないですが、ドイツの主要産業と密接に関わることで、経済的に豊かになりました。
それに対して、ポーランド・チェコ・ハンガリーは旧ソビエトの支配下に置かれていた国です。冷戦が終了する1989年までは、社会主義体制でした。
ポーランド人と話すと、社会主義時代は、いかに経済的に貧しかったかを教えてくれました。
これを見ても、いかに社会主義が、国民が経済的に裕福になるのが難しいかわかります。
以前、ブラジルのユバ農場に行った時のブログにも書きましたが、社会主義が成功するためには、ふたつの大事な要素が存在します。
1.まずは、社会主義体制のトップの人たちが、道徳心を兼ね備え、私ではなく公を考える人材でなければらならないこと。
2.さらには、社会主義下の国民が、お金と言う対価がなくても真面目に働く人達でなければいけないこと。
かなり難しいハードルです。
旧ソビエトの社会主義もうまくいかず、実際に経済力の差として、東欧の中にも未だ悪影響が残っています。
そして興味深いのが、この国々の中でオーストリアだけ、ユーロを導入しているという点。
訪れた4つの国は、全てユーロ加盟国ではあるのですが、ユーロ加盟国だといってすべての国が通貨をユーロにしているわけではありません。 この事実は、金融の世界で働いておきながら、恥ずかしながら実際に来るまで知りませんでした。どうも、欧州といえど発展途上の国ほど、まだ自国の通貨を使う傾向があるようです。
そして、自国の通貨を使い続けるメリットもある様子。
現地でポーランド人と話していると、2008年のリーマンショック以降、ポーランドだけは、自国通貨を保っていたおかげでユーロの中でマイナス成長に陥らなかったと言っていました。
経済力の違う国が、同じ通貨を使うと、いろいろと不都合があるのかもしれません。 ギリシャ危機がひとつの例だと思います。ユーロ導入によって、自国の中の中央銀行の役割が失われるため、景気が悪くなっても金融政策が打てず、このようなことが起こりました。
いやはや、一口に東欧と言っても、全然違う。
やはり、実際に自分の足で街を歩いてみると、意外な発見があります。
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